I think
"いずれ自分の糧になる"
この言葉はいつしか、
自分の心と体の声を無視する手段になっていた。
日常の忙しさに呑まれ、休むことさえも許されないような気がしてならなかった。
理由なんてなく、
ただ好きだからやる、やりたいからやる、やりたくないからやらない、そんな子供の時の純粋な心は歳を重ねるにつれ、常識や協調性といった、口に出してみればたった一言で終わってしまう言葉にかき消され、そんな、一言で終わってしまう言葉達が私には、重くて重くて仕方なかった。
誰も自分が知らないところに行きたい
電車や車とは違う、もっと目線が高く、普段は見る事が出来ない雲の上の景色を見ながら雲の上に住めたらいいのに…とフライトするたびに思っていた。
見渡す限り何にもなくて、ここにいれば108あると言われている煩悩が全て無くなってしまうんじゃないかとさえも思う。
見るだけでさえ、無くなってしまいそうな気もしないことはない。(日本語あってるのか?)
何で旅が好きなのかな…と考えていた時、
私の場合、好きな事、物に対して
好きな理由がないに等しいことが多い。
常に感覚で動いていたから
そういう訳で、『何で好きなの?』と聞かれると『知るか!好きなもんは好きやもん!』と思っていたし、そんな事を聞かれるのは昔からすごく苦手だった。
そこに苦手意識が何であるのかも気にかけたことは無かったけど、とにかく嫌〜な気持ちになっていた事を今でも思い出すし、今でもそう。
そうはいうものの、
自分の好きの理由を知りたくなってしまった。
幼少期からの記憶を辿っていくと、
どうも、同じ場所、同じ事、同じ動作をすることに対して苦痛に近いものを感じていることに気づいた今日この頃。
新しい場所に行き新しい人に出会う
脳にガンガン良い刺激が与えられている気がする
新しい事、場所、新しく出会う人、新鮮さが好き
ということに旅をしていて気づいた
頭も心も柔軟でいたい、そんなことを願う
静かな夜🌙